DV(=Domestic Violence)が、昨今メディアを中心に、その言葉の本来の定義を離れて軽々しく多用されるようになった背景は、ニート・ひきこもりのそれとまったく同じであろう。マスメディアを中心に、主に情報を発信する側が、その語句定義をきちんと認識せぬまま、世間に「流行らせる」ことに腐心し、ごく一部のケースだけを一般化し、予め「持っていきたい結論」とまじえ、語句を恣意的に独り歩きさせる――。

世の何事も、その詳しい実態や背景は、その中で特に関心を持つ人々が能動的に情報を得ようとしなければつかみにくい、といった側面は多分にあるにせよ、発信するメディア側の、こうした軽薄といってもいい安直さは、謙虚に振り返らなければならないであろう。もちろん筆者も、関連したテーマの末席を汚すメディア側として正確な情報発信への努力が足りなかったことは否めず、率直に反省する所である。

DV=配偶者やパートナー、恋人への肉体的・精神的暴力というように対象が限定されているかのような昨今のミスリードも、根本から正される必要がある。
それは単に「語句定義」といった次元に留まらず実質的な内容も含め、親子の相互や、その他すべてを含み、あくまで「同居内暴力」という括りで認識されるべきものなのだ。

よって、当事者同士の間柄や、それら独自の特徴はいったん横に置き、筆者は改めてDVを「家庭内における暴力関係全般」と定義し直すとともに、恒常的な加害・被害の相互関係という、暴力で結ばれた「共依存」の闇についてもメディアにおいてあまりに周知されていないことから、本稿ではそこを中心に触れておく。
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