昨日は夜の帰り道は少しだけひんやりという感じでしたが、だいぶ暖かくなってきました。目線を上げてみると、新緑の木々とか花が咲いていてきれいだなと嬉しい気持ちになります。昨日は路上で花を植えていた方を何人か目にして挨拶を交わさせてもらった人もいます。
外での行き来をはじめ、いろんな時に自分への「メンテナンス」の大切さに思いが及ぶことがあります。以前に本などにもあったのですが、人間はよく知らないものや興味の薄いものに対して先ず否定的に捉えてしまいがちということです。僕自身も記者としてのテーマなどを通しての体感をもとに「知らないことがいけないのではなく、知らなくて良いんだ、知る価値がないという決めつけが偏見を生む。偏見は他者を傷つけるだけではなくて、その人自身の幅も狭めてしまうのではないか」といったことを述べさせてもらっています。人や物事を好みだけで決めつけて「坊主憎けりゃ袈裟までも」的になっていないか。逆に近しいから「あばたもえくぼ」で慣れ合いになっていないか。良いものは良いし、悪いものは悪い。「是々非々」は以前より大切なことだと心掛けているつもりですが、出来ていない時もあるんだと思います。だからこそ、常にメンテナンスする振り返りはすごく大切だとも感じます。
ところで、北海道言論プラットフォームの投稿にもコメントを頂いて有難く喜んでいます。ノベルのことも、どういうふうにできるかなと希望が膨らんでいます。というわけで、今日もへこたれずにさりげなくという感じで頑張りまっす!(空元気かもしれませんがご容赦を(^_^;)
2011年05月
先週後半から、ようやく朝晩もそれほど寒くないくらいになった気がします。
自分が至らないなぁという場面は沢山ありますが、そこを考えれば考えるほどへこんでしまって気分をきりかえるのが苦手です。子どもの頃の方が同じく考えたにしてもめげずにきりかえられてもいた気もしますが・・・。
でも、きりかえるというのは雑に考えるとかどうでも良いとか反省しないということではなくて、それはそれとして頭の片隅にありながらも、文字通りスイッチを入れ替えるようにしていったん目の前のことに意識を移して頑張ろうということだと思うので、少しでもそうできるように自分なりの遅い歩みかもしれないですが実践していこうと思います。
マイナスにとらわれるのではなくてプラスにするために与えてもらった言ってもらったんだと、まさにプラスに思って頑張ります!
自分が至らないなぁという場面は沢山ありますが、そこを考えれば考えるほどへこんでしまって気分をきりかえるのが苦手です。子どもの頃の方が同じく考えたにしてもめげずにきりかえられてもいた気もしますが・・・。
でも、きりかえるというのは雑に考えるとかどうでも良いとか反省しないということではなくて、それはそれとして頭の片隅にありながらも、文字通りスイッチを入れ替えるようにしていったん目の前のことに意識を移して頑張ろうということだと思うので、少しでもそうできるように自分なりの遅い歩みかもしれないですが実践していこうと思います。
マイナスにとらわれるのではなくてプラスにするために与えてもらった言ってもらったんだと、まさにプラスに思って頑張ります!
今朝も早朝から曇りです。もうすこし暖かくなると良いなと思っています。
さて。仕事柄、アスペルガーなどの発達障害をはじめとして、表面には分かりにくいながら色んな特徴を持って社会で頑張る人に接して取材させて頂くことがあるのですが、彼らはいつも「社会はそういった特徴を持たない多数派に合わせて作られているので、時に『変わったやつ』で片づけられたり理解されなかったりはね除けられたり辛い思いをすることが多い」といいます。
多数派に合わせて作られているという現状があって、その多数派の人たちに「そういう人もいる」という認識や理解が足りなければそうなるのは当然ですし、どうしても優しくないことになってしまうと思います。どうしても、多いとか「普通」と思われる側にいると気が大きくなり優しくなくなることがあるような気がします。
でも、そもそも「普通」とは何でしょうか。個人的には、多いことが強いわけでも「普通」なわけでもないと思います。そもそも、自分も含めて人は得手不得手とかいろんな性質をもっているわけで、そう考えると何も名称のつく特徴をもつ人でなくとも、皆他の人の理解に支えられて、わがままを許してもらって成り立っているのではないでしょうか。そこを少しずつ思いやって尊重し合えば、だいぶギスギスしなくなると思うのです。「そういう特徴を持った人もいるのか」ということがまだ知られていないのであれば、それを伝えつつ本質になることも提示できれば。それが伝え手の意義のひとつだと思いますし、件のテーマにも向き合ってきました。
自分の体験や価値観に基づく基準は勿論とても大切だと思います。ですが、それだけで他人や物事を見てしまうと時に優しくないことになってしまう。甘やかしとか甘えとかではなくて、理解を踏まえた上での慮り。自分には簡単と思えることだったり気にならないことだったりしても、他の人には違うかもしれない。そこを面倒がらずに短気を起こさずに少し優しくなりたいなと思う。
自分基準だけにならないこと。
そして、他人に対して公平に。
口で言うのは簡単ですが、日々のさりげない所でできているか。言っていることとやっていることが違わないか。
「あの人は立派なこと言ってるけど、言ってることとやってることが違うじゃないか」「あの人は特定の人には甘いじゃないか」というのはお粗末なことだと思いますし、僕自身も人を見て幻滅したくない部分でもあるのです。そう考えると、日々本当にメンテナンスと自戒を込めて反省と前を向いて改めることの連続です。強く自戒を込めてです・・・(-_-#)
そんなわけで今日も頑張っていきたいと思います!
さて。仕事柄、アスペルガーなどの発達障害をはじめとして、表面には分かりにくいながら色んな特徴を持って社会で頑張る人に接して取材させて頂くことがあるのですが、彼らはいつも「社会はそういった特徴を持たない多数派に合わせて作られているので、時に『変わったやつ』で片づけられたり理解されなかったりはね除けられたり辛い思いをすることが多い」といいます。
多数派に合わせて作られているという現状があって、その多数派の人たちに「そういう人もいる」という認識や理解が足りなければそうなるのは当然ですし、どうしても優しくないことになってしまうと思います。どうしても、多いとか「普通」と思われる側にいると気が大きくなり優しくなくなることがあるような気がします。
でも、そもそも「普通」とは何でしょうか。個人的には、多いことが強いわけでも「普通」なわけでもないと思います。そもそも、自分も含めて人は得手不得手とかいろんな性質をもっているわけで、そう考えると何も名称のつく特徴をもつ人でなくとも、皆他の人の理解に支えられて、わがままを許してもらって成り立っているのではないでしょうか。そこを少しずつ思いやって尊重し合えば、だいぶギスギスしなくなると思うのです。「そういう特徴を持った人もいるのか」ということがまだ知られていないのであれば、それを伝えつつ本質になることも提示できれば。それが伝え手の意義のひとつだと思いますし、件のテーマにも向き合ってきました。
自分の体験や価値観に基づく基準は勿論とても大切だと思います。ですが、それだけで他人や物事を見てしまうと時に優しくないことになってしまう。甘やかしとか甘えとかではなくて、理解を踏まえた上での慮り。自分には簡単と思えることだったり気にならないことだったりしても、他の人には違うかもしれない。そこを面倒がらずに短気を起こさずに少し優しくなりたいなと思う。
自分基準だけにならないこと。
そして、他人に対して公平に。
口で言うのは簡単ですが、日々のさりげない所でできているか。言っていることとやっていることが違わないか。
「あの人は立派なこと言ってるけど、言ってることとやってることが違うじゃないか」「あの人は特定の人には甘いじゃないか」というのはお粗末なことだと思いますし、僕自身も人を見て幻滅したくない部分でもあるのです。そう考えると、日々本当にメンテナンスと自戒を込めて反省と前を向いて改めることの連続です。強く自戒を込めてです・・・(-_-#)
そんなわけで今日も頑張っていきたいと思います!
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記者をしています。
1975年1月北海道札幌市出身。
大卒就職活動時アナウンサーを志しながら在京局などの最終面接で至らず、その後神戸新聞社入社(非記者)。退社後、札幌でFMラジオ帯番組や雑誌編集などを経て2005年よりフリーとして現職。
ニート、ひきこもり、発達障害、DV、虐待、自殺、介護、貧困などメンタル&社会福祉事象全般、付随する教育、労働行政、社会の少数派などが重点取り扱いテーマ。アジア社会文化事情、航空旅客ホテルなども関心が強いです。
スキー(オフピステ)、野営、水辺、筋トレ、カレー&アジアン料理&焼肉が大好き、寒暑&朝夜どちらもOK、どこでもすぐ寝られて飲んで食べることに至福を感じる人好きです。
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