2011年07月

マクドナルド

昨日&一昨日は、それぞれ一日中新篠津村出張。車で片道50分ほどですが疲れました(>_<)
今日はマクドナルドで原稿などの作業をせっせとしています。大好きなコカ・コーラを飲みながら。
色んなことは気掛かりですが、なるべくプラスに考えながら頑張っていこう。

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素直であれ。寛容であれ。頑張れ。

色々気がかりなことはあるけれど、目の前を頑張ろう。素直な気持ちで、いじけず背かずに頑張っていればいいことあると信じています。

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足元と実践確認

色々考えますし、こうありたいと思うことも多いですが、一つひとつ実践を心掛けていきたいと思っています。口で言うのは簡単ですが、自分や他人を見ても「言っていることとやっていることが違いはしないか?」と思うこともあります。同じく、自分や他人を見て「もう少し優しくて良いんではないか」と思うことも。一面的に見て思い込んだり決めつけたりしていないか。


そう考えると、常に振り返って点検しながら進んでいくことも大事だなと思います。完璧など無理ですが、少し考えて、少なくとも普段こうありたい、ここは気に掛けようと思うことに矛盾があるのは他からはよく映ると思います。臆せず、でも謙虚に。色々考えすぎると動けなくなりますが、本当に一歩一歩。

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仮面サイダー

お茶もコーヒーも飲んでしまったので、自動販売機で「仮面サイダー」を買い飲みました。「復刻版」とも書いていて、懐かしいサイダーの味。色々シリーズがあるようです。100円。


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「死刑~被害者遺族・葛藤の日々」

昨晩、NHKのヒューマンドキュメンタリーとして表題の番組を見ました。あらゆる立場や考えの人が見ていたと思うのですが、個人的には法曹と報道に関わる多くの人が見ていたら良かったなと思いました。

17年前、当時19歳の江崎正史さんがボーリング場で「睨まれた」と同年の少年3人言われ、友人とともに殴られ、そのまま車で連れ去られ暴行、長良川河川敷で数時間にわたるリンチを受け続け、翌朝友人とともに遺体で発見された事件。同様のリンチ殺人事件を続けて起こし、暴力団の手下だった主犯格の少年ら3人は「殺意はなかった」として一審や控訴審などで上告し続けました。最高裁の判決が今年3月にようやく出て、3人の死刑が確定したのは記憶に新しいです。

両親の江崎恭平さん・テルミさんは一貫して死刑を求め続けてきたものの、裁判の過程では、一部マスコミによる根も葉もない事実の報道によって誹謗中傷を受け二次被害的に深く傷ついたこと、被告側の弁護人を介した謝罪に応じたら、その後の弁論で減刑の主張に利用され相手方弁護人への不信感を募らせたことなど、事件で無残に息子を奪われた悲しみだけでも身を裂かれる思いなのに、そうした理不尽に耐え続けた悔しさは想像に余りあると思います。

母親のテルミさんが、とにかく死刑という結果を得るために耐え抜いてきたし、それが唯一息子の供養になるし救われるとしたのに対し、同じ思いではありながら、長らく裁判を傍聴して詳細に記録し「なぜ殺し、殺されなければならなかったのか」ということに迫ろうとして、加害者の少年から届く手紙の文面に心境の変化を汲み取り「命の大切さ、そして事件にきちんと向き合うようになったのか」と翻弄されながらも問い続け、彼らが事件に向き合うことが果たして「死刑」なのか、ずっと苦悩してきた父親の恭平さんの揺れる心の動きが詳細に伝えられていました。

「どうしてそんなことを思うのか分からない。死刑を勝ち取るために闘っているのに」と、歯がゆさのような思いを恭平さんに訴えるテルミさんと、「自分の中に二つの引き出しがある。あくまで死刑を求める思いがある一方、彼らに、きちんと事件や自分と向き合う心境の変化があるとすれば、死という概念だけで片付けて良いのかということ。ただ、裁判に向き合う身においては、もうひとつの引き出しに鍵を掛けて、あくまで死刑を求めていく」と真摯に答える恭平さん。

どちらも、正しく深く苦悩し向き合っていることに変わりはなく、話にもありましたが根っこの思いは同じなのだと思います。

17年闘い続けて、今年3月に最高裁で死刑確定が出て、求めてきた思いがかなった安堵はあっても、想像していた以上のむなしさと脱力感が残った二人が語っていたことに、被害者遺族が抱えざるを得ない複雑で多面的な葛藤が象徴されているように感じました。

被害者側の苦悩や世間の反応に少なからず影響を与える法曹も報道のあり方は、常についてまわると感じます。刑事事件はお金にならないし、弁護士もあまりやりたがらない人が多いというのは今や世間の多くの人も知っていることだと思いますが、その仕事は刑事・殺人事件の弁護だけではありませんし、あまりに自身の信条や正義感から弁護を引き受けられないケースもあると思います。報道も同様で、正義感や公共性に照らして、どう伝えるか、正しい伝え方とは何かというのは常にジレンマとして抱えています。本当の意味で正義感と自身の価値観に正直な人は、法曹も報道も、いくらお金にならずとも、ぎりぎり仕事を維持できるだけの収入で儲けに走らず、ひたすらその分野で頑張るんだと思います。

シンプルに「何が正義か」「理不尽に見舞われた人の思いや立場」を最大限想像できるように、それぞれが善悪の判断や人としての思いやりを身につけていくしかないのでしょう。

法曹だろうと報道だろうと、従事する人である前に、ひとりの「何者でもない心をもつ人間」であるはずです。何でも職業や立場にかこつけず、人間としてどうか。仕事として関わる場合は、そればかりで行動できない場面があるのは当然のことですが、そうであるにせよ、原点を忘れている人が多い気もします。

そして、ごく一例ですがサリン事件の高橋シヅエさんや河野義行さん、光市母子殺害事件の本村洋さんなど、市井の人として静かに暮らしていた人が、ある日突然、衝撃的な事件の「被害者」あるいは「被害者遺族」として、図らずも当事者としての苦悩や思いを伝えるだけではなく、結果として世の中にメッセージを発する立場に置かれるありようには勇気と皮肉を感じます。もちろん、その裏で矢面に立てずにいる人もたくさんいますし、自分がその立場に置かれたら、あのように毅然と一被害者としての立場に限らない「使命」を果たせるかも分かりませんが、そんな面にも思いが及びます。

何事も「強い、弱い」で片付けるのは安易で違うと思いますし好きではありませんが、逆説的ながら人間のもつ芯を感じて、それは救いであり希望ではないかと感じました。

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記者をしています。

1975年1月北海道札幌市出身。
大卒就職活動時アナウンサーを志しながら在京局などの最終面接で至らず、その後神戸新聞社入社(非記者)。退社後、札幌でFMラジオ帯番組や雑誌編集などを経て2005年よりフリーとして現職。

ニート、ひきこもり、発達障害、DV、虐待、自殺、介護、貧困などメンタル&社会福祉事象全般、付随する教育、労働行政、社会の少数派などが重点取り扱いテーマ。アジア社会文化事情、航空旅客ホテルなども関心が強いです。

スキー(オフピステ)、野営、水辺、筋トレ、カレー&アジアン料理&焼肉が大好き、寒暑&朝夜どちらもOK、どこでもすぐ寝られて飲んで食べることに至福を感じる人好きです。

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