顛末について、ひとまずここで多く言及するつもりはありません。ルールを守らなかった読売新聞の記者は悪いけど、その後の自由報道協会側(岩上安身氏と上杉隆氏)の「咎め方」も見ていてあまり良いものではなかったので、どっちもどっちだと思います。
いわゆる記者クラブによる会見が閉鎖的で、官公庁の中に記者クラブがあり、そこでの費用はまったく払わずに一部の記者クラブ加盟社だけがその利用や会見出席を独占しているのはおかしいし、その理不尽に風穴をあけるとか打破するという点では、ネットや雑誌、フリーの記者が中心となって発足した「自由報道協会」には、諸々の課題はあれ一定の「役割」はあるのだと思います。どんな物事も旧来の悪しき慣習や閉鎖性を打ち破る時には、それなりの軋轢やせめぎ合いはつきものだし通らねばならない道があると思うのです。だから、摩擦やカオスそのものを忌み嫌うとかあってはならないとかいう無菌培養的な発想には違和感がある。それ自体は恐れずに、でも内輪の発想だけに陥らない、耳を傾ける謙虚さを忘れない。
たまたま上の例を挙げましたが、これは個人間も含めて他のあらゆることに当てはまると思います。少なくとも、それぞれが本気で少しでも良い方向を向いてぶつかり合う時、多少の摩擦やせめぎ合いはむしろ歓迎すべきだし、真剣な証拠。その意味で「摩擦やカオスは大いに歓迎」なのだと思います。
