日々雑感

自由闊達な議論と多様な発想は何より尊い

表題についていろんな場面で感じています。業界や職業、活動、その他で特定の環境の中に身を置くと、知らず知らずのうちに、そこ特有の常識や発想やルールなどにどっぷりと浸かり縛られてしまって他の感覚や発想が失われてしまうことがあると思います。それを自覚できているうちはまだ良いのかもしれません。ところがもっと進むと自分が狭い感覚にどっぷり浸かって見えなくなっていることにも無自覚になって、少しそこから離れた人の率直な意見や指摘にも「そんなはずはない!」「わかっていない!」などと頑なになり耳を貸さなくなってしまいがちだと思います。

経験して詳細に通じていることと俯瞰で物を見渡せていることはまったく別物ではないか。「自分(たち)がそのことについては携わっているからよく知っている!」という自負はあって良いと思いますが、それと一緒に「中にいるからこそ見えない、マヒする感覚」も必ずついて回る危うさがあるのではないでしょうか。その存在を忘れてはいけないと思うのです。

あと、よく身近でいくつか実例があっただけで「○○は~だから駄目だ!」などと主にネガティブで決めつける場面を見ますが、それも冷静に見ればそこまで一般化しなくて良いことも沢山あるように思います。もしかしたら、たまたま行きあたった数件や数人がそうだっただけかもしれません。人間良くないことがあると「どうせ他もすべてそうだろう」という思考になりがちだと思います。概してそうしたネガティブな決め込みは集団心理の類とあいまって雪だるま式にエスカレートしがちですし、さまざまな可能性や世界を狭めてしまうかもしれない。

日ごろ漠然と思っていることではありますが、自戒を込めて備忘録として書いておきます。

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「すべて自分の責任である」という自由

1つ前のブログ記事に頂いたコメントや最近思うことが多いので、以前もこのブログや北海道言論プラットフォームなどでも書きましたが「何かのせいにしない」「すべて自分の責任」ということからスタートする自由の話を書きたいと思います。信頼する友も以前似たようなことをブログに書いていましたが僕も同じことを思っています。

世間には言うまでもなく色々な人がいます。1,2を聞いて伝える側の意図する多くを察して理解できる人もいれば、10を聞いても不思議なくらいにずれた解釈をする人。それぞれに得手不得手があり、努力を重ねていけば良いのではないでしょうか。自分の自信のなさを他人や何かのせいにするのは簡単ですが、ずっと痛みと苦しみを背負わなければならない。一方、「すべて自分の責任だ」という所からスタートすることは、その時は痛みのようなものを伴いますが、実はその後に果てしない自由が広がっている。そしてこれはネガティブに自分を責めるということとはまったく違うのです。

子どもの頃、よく親や学校の先生など周囲の大人に「自由には責任が伴う。大人になるにつれて責任も増えるが手にする自由もすごく多くなる」ということを言われていました。同時に「表で自分の存在をもって堂々と言えないことは裏でもこそこそ言わない」ということも教わりました。

自分の自信のなさを、他人の心や状態まで決めつけてそこにかぶせる。
他人も、自分が思い込んでいる世界の中で物を考え見ている思っている。

他人や何かのせいにすれば楽ですし、一瞬安らぎのようなものは得られるのかもしれません。しかし、自分と向き合うという一瞬痛みを伴う作業をしないことでの歪みや苦しさははるかに厄介です。

仕事柄、自らの言論で反発や批判を受けることは多々あります。僕の場合は発言内容や仕事的な兼ね合いで反応もまだ柔らかいですが、もっと影響力のある仕事や発言をする人はそれだけ多くの反発や批判、脅迫の類に日々晒されています。法曹など思わぬ反発や敵を作る仕事に携わる人は沢山います。別に思わぬ脅威に晒されていることが偉いとか格好いいとかいうことではなく、要するにそうした人々は自分を晒した上でリスクを背負い覚悟をもって生きているということです。

罵詈雑言、個人の誹謗中傷を目的としたものは論外として、まっとうな批判は大いに結構だと思います。そこで闊達な議論も生まれるでしょう。でも、本来身元を明かせないなら言うべきではない。

あくまで一例ですが、自分自身に責任を持つことではないでしょうか。他人に求める前にまず自分。
「いくら努力しても自信というのはいつも足りない。だから『自分』を『信じて』自信を作るものなんだ」という友の言葉の通りだと思っています。他人に卑屈になったようなことをぶつける前に、自分を信じて自信を足す素直さを。

他人を変えることはできないけど自分が変われば変化は必ずある。自戒を込めて、引き続きの一歩を踏み出したいと思っています。

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「一歩ずつ、気楽に気軽に壁越えしていこう!」

札幌は朝から曇りながら雪がちらついています。さて昨晩は同級生のM君とファミレスでじっくり語らいました(テーブルの写真を取り損ねました…(>_<)

南高の仲間のこと、ラグビーのこと、うつと鬱々とするの違いのこと、今の仕事のこと、僕のぶざまな体験のこと、皆涼しい顔してても色々あることetc…
色んなことを聞いたり話したりしてあっという間に日付は変わっていましたが、一歩ずつ未来に向けて自分を認めながら適度な加重で頑張っていこうという話で解散しました。やはり、根本が通じて共有できる仲間は本当に心強いし有難い(本来の意味通り、有ることが難しい)という話もありましたが、そう痛感しています。年末にとても有意義で良い夜になりました。来年も色んな話ができることを楽しみに励みにして頑張っていこうと思います。M君、有難う!

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実は反響圧力というおばけに相当やられている件…(-_-;)

突然ですがブログにコメントを頂くことがあって有り難く思っています(お気軽にお願いします)。
ところでなんですが、Facebookで「いいね!」を貰う=人間的に認めて貰っている、貰えない=否定されているあるいは認められてない、みたいに気に病んでしまう僕はどうかしているでしょうか・・・(-_-;)
見ていると同じような投稿でも多い少ないはタイミングもあるようですし、友達登録している人の数の多さというより同じ数でもそのうちよくFacebookにログインして見てリアクションする人が多いかという「密度」の問題もあるようですし・・・。

私事ですが、生来人にどう思われるか、人の反応がどうかとかそういったことを気にしやすい性格ではあります。とはいえ、Facebookでもいちいちおびえて反応が薄いと死にたいほど落ち込んでしまうとか、ちょっと何かアップしただけですぐ30人とか40人とか「いいね!」を貰うなんて一体どうしたらそんなことになるんだろうか??とか真剣に悩んでしまう僕はおかしいですね、やっぱり・・・(-_-メ

でも・・・
前に同学年の常見陽平氏も「ソーシャルネットワークのコミュニケーション圧力」というお題で、たとえば職場の付き合いで上司の投稿に「いいね!」を押さねばならないような無言の圧力に屈して流されてしまうとかを挙げて、昨今のソーシャルネットワークは無用で些末なストレスを生んでいる面もあって「自分を持ちましょう」とすすめている記事とか投稿をアップしているのを見たので周辺での悩みはよくあることなのかもしれません。

ほかにも、たまに自分の友達申請はスルーしているのに後から他の人の申請は普通に承認しているのを見るとはっきり言って死にたくなりますが・・・皆さんもそんなことの1つや2つはあるのでしょうか?
ある若者に聞いたら「自分は、『失礼しちゃうな!あ~そうですか、それなら結構です。別にそこまでのことしていないのに何だよ!感じ悪いなあ』と腹立てて後は考えないです」と言っていましたが、気に病むのは精神衛生上良くないですよね。命がいくつあっても足りなくなる・・・(-_-#)

以上・・・すいません最近ずっと悩んでしまっていたので吐露させて頂きました。

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ひとくくりにしないこと

表題に関することはいつも思っているのですが、以前ある場所である人が「進学校じゃない人が勉強しない、できないと思われても仕方がないですよね?そう思われたくなかったら別な環境にいれば良い」といったことを言っていましたが申し訳ないけどまったく同意できませんでした。というか、到底相容れない感覚です。これは一例であってもちろん何事にも当てはまると思いますが、環境でひとくくりにされてはたまらないと思う人への想像力がまるでない。はっきり言って残念でなりません。

くじ引きでも運でもなく本人の努力でつかんだ環境は尊いし、そこで得られる刺激や学び、収穫などもろもろのことはその後の人生においても得がたい財産だと思います。でも、特に試験の類は水ものでもあり努力と結果がが必ずしも等しく反映されるとは限らない。死ぬ気で頑張っても結果は時に残酷なことは、あらゆる試験に本気でぶつかった経験のある人なら身をもって知っているはずです。

仕事柄、色んな人生や経緯、思いを抱えている人と向き合いますし自分自身にもあらゆる思いがあります。人は一度失敗(かどうかも分からない)したら取り返せないのか?逆に何かに成功(かどうかも分からない)したからといってその後努力しなくても安穏とできるのか?まったくそうは思わない。何度でも失敗して、それでないと分からない感覚もある。失敗を忌み嫌って失敗しないことを過度に自他に求めるとか表層的な環境で他人をひとくくりにするとかだと必ずゆがみが生じます。これは実感としてです。

少なくともネガティブな感覚で「○○にいると△△だから」とひとくくりにする人は、視野の狭さや偏りをさらしているだけでなく他人の夢や可能性を間接的につぶし傷つけていることに気づくべきだと思います。自戒を込めて。備忘のために書き残しておきます。
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記者をしています。

1975年1月北海道札幌市出身。
大卒就職活動時アナウンサーを志しながら在京局などの最終面接で至らず、その後神戸新聞社入社(非記者)。退社後、札幌でFMラジオ帯番組や雑誌編集などを経て2005年よりフリーとして現職。

ニート、ひきこもり、発達障害、DV、虐待、自殺、介護、貧困などメンタル&社会福祉事象全般、付随する教育、労働行政、社会の少数派などが重点取り扱いテーマ。アジア社会文化事情、航空旅客ホテルなども関心が強いです。

スキー(オフピステ)、野営、水辺、筋トレ、カレー&アジアン料理&焼肉が大好き、寒暑&朝夜どちらもOK、どこでもすぐ寝られて飲んで食べることに至福を感じる人好きです。

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