本日のヤフーニュースで表題の記事が配信されています。
正確には、昨今「発達障害」というものがあるらしいということが少しずつ(個人的には、まだ全然知られているとは言い難い認識ですが・・・)知られてきて、臨床の現場でも精神科医の先生も知識を付けてそういった診断が下るケースが増えているということであって、カテゴライズされなかっただけでそうした特徴をもつ人は昔から沢山いたはずです。なので、昨今急に増えたみたいな表現は実態と違うし違和感もあります。
そして、発達障害そのものに苦しむというよりも、発達障害という精神的特徴をもつ人が少数派とされているので、定型発達者が多数派とされる一般社会では主にコミュニケーションの場面で独特の返しをしがちなこともあって、摩擦が生じ「変わった人」「できない人」などと隅に追いやられてひどく傷つき、苦しんでいるというのが適切だと思います(ちなみに、得意面においては定型発達者にはないずば抜けた能力を持つ人が多いです)。
世の多くの人は、そんなにいつでも順応し器用にこなし、不得手や疎外感をもたずに生きているのでしょうか?そう考えると、発達障害は人が持つ多くの特徴のひとつにすぎませんし、きちんと知りつつ特別扱いもせず、その存在を普通に受けいれるというさりげなさで良いと、仕事を通して関わらせて貰っている者としては思っています。
障害と分類されていて、そこで苦労したり理不尽な思いをしたりしている人が多い以上、それを「個性」などときれいごとで片付けるのは違うと思いますが、社会は自分も含めて色んな特徴をもつ人が雑多に混ざりあって成り立つものではないでしょうか?
そこで、自分と違う特徴をもつからといって色眼鏡で見たり排除したり貶めたりというのはやはり間違っていると思いますし、そういう社会が心地良いとも思えません。
どの分野にもいえることですが、「まず知ること」ではないでしょうか。あらゆるマイノリティの問題なども然り、得てして好悪やネガティブが先行した意見を言う人は、よく聞くと実際を全然知らずに言葉などの持つイメージ論で自信満々に物を言ってしまっていて唖然とすることがあります・・・(-_-メ
好みはあって当然です。でも、その前に物事の最低限を知らないと判断のしようがないのではないでしょうか。好き嫌いや先入観が邪魔をしていないかきちんと見つめて、あるならいったんそれを排してフラットな状態で物事を知ろうとする。そうした素直さが我々に求められているのではないでしょうか?
発達障害とその周辺の問題もそのひとつにすぎませんが、伝え手として知られていないことを提供すべく少しでも役立てればと思っています。
正確には、昨今「発達障害」というものがあるらしいということが少しずつ(個人的には、まだ全然知られているとは言い難い認識ですが・・・)知られてきて、臨床の現場でも精神科医の先生も知識を付けてそういった診断が下るケースが増えているということであって、カテゴライズされなかっただけでそうした特徴をもつ人は昔から沢山いたはずです。なので、昨今急に増えたみたいな表現は実態と違うし違和感もあります。
そして、発達障害そのものに苦しむというよりも、発達障害という精神的特
世の多くの人は、そんなにいつでも順応し器用にこなし、不得手や
障害と分類されていて、そこで苦労したり理不尽な思いをしたりしている人が多い以上、それを「個性」などときれいごとで片付けるのは違うと思いますが、社会は自分も含めて色んな特徴をもつ人が雑多に混ざりあって成り立つものではないでしょうか?
そこで、自分と違う特徴をもつからといって色眼鏡で見たり排除したり貶めたりというのはやはり間違っていると思いますし、そういう社会が心地良いとも思えません。
どの分野にもいえることですが、「まず知ること」ではないでしょうか。あらゆるマイノリティの問題なども然り、得てして好悪やネガティブが先行した意見を言う人は、よく聞くと実際を全然知らずに言葉などの持つイメージ論で自信満々に物を言ってしまっていて唖然とすることがあります・・・(-_-メ
好みはあって当然です。でも、その前に物事の最低限を知らないと判断のしようがないのではないでしょうか。好き嫌いや先入観が邪魔をしていないかきちんと見つめて、あるならいったんそれを排してフラットな状態で物事を知ろうとする。そうした素直さが我々に求められているのではないでしょうか?
発達障害とその周辺の問題もそのひとつにすぎませんが、伝え手として知られていないことを提供すべく少しでも役立てればと思っています。
